ネット販売18年目に思うこと2 アウトレットファブリックスのはじまり。 アウトレットファブリックスを運営しているのは、もともとは生地やさんなのですが、オーナーが、以前某有名ナショナルチェーンのファッション専門店の商品企画をしていたということで、製品もたくさん作って販売していました。もちろん必…続きを読む
ネット販売18年目に思うこと1 最近は、ネットの生地屋さんも本当にたくさんなのですが、私どもが始めた18年前には、「生地」で検索したら、パン生地とかうどんの生地とかばかりがヒットして、長年、生地やさんをやっているのですが、ひょっとして私どもが扱っている…続きを読む
内藤ルネさんのこと はじめて内藤ルネさんのことを知ったのは、たしか「私の部屋」という雑誌が創刊されたときのことです。1970年代(昭和47年くらいだったでしょうか)、その雑誌で見たものは、イラストだはなく、内藤ルネコレクションのビスクドール…続きを読む
土佐つむぎのこと 1980年くらいのお話になります。 パッチワーク教室をやっていたころ、教室の先生からどうしても、土佐つむぎを使った作品を作りたいという要望があって、それでは探して見ましょうとさっそく、高知の織り元へでかけました。ラッキー…続きを読む
ちりめんを作った 1980年くらいの話ですが、どうしても、ちりめん素材が欲しくて、探していたところ、レーヨンのちりめんの風呂敷をみつけました。これが反物であったら服になるのにと思って、さっそく、京都の風呂敷やさんへ。とりあえず、風呂敷にカ…続きを読む
はじめてのパッチワーク教室 1980年くらいにはパッチワーク教室なるものをやっていました。 優秀な先生に恵まれて、こじんまりとした教室でしたが、そうなんです石油ストーブのある、ひなびた(失礼)公民館で、5~6人の生徒さん達と、わいわいがやがや楽しく…続きを読む
一番最初に作ったオリジナルプリント まだ、木綿のプリントもあまり作られていない頃のお話です。京都の染工場で何かプリントするものがあれば、作ってあげますという、うれしい話をもらい、さて、何をプリントしてもらおうかと考えました。機械でプリントするのでしたら、ロ…続きを読む
昔は自分で染めていた 1975年くらいのお話なのですが、綿の無地って、種類がありませんでした。、シーティングの色物さえないのですから、仕方がないので、自分で染めていました。その頃、いろんな色を染めて、ブランケットステッチでアップリケをして、風…続きを読む
ビニールコーティング加工 ビニールコーティング加工は、その名のとおり、ビニールを生地に圧着(貼り付けた状態)して、丈夫で防水性のあるものを作ります。 私どもの商品は0.15mm厚さのつや消しのビニールを貼ってます。 ビニールだけだと弱いのですが、…続きを読む
ローン(lawn)について ローンという名前は本来、麻の高級な薄地の織物のことで、その風合いをまねて作ったものが綿ローンです。ですから、薄地のソフトな手触りのなかにも少し麻の感覚を持った織物といえます。でも、綿ローンは特有の風合いもあって、本来のロ…続きを読む